詩歌 verse
世に経れば 物思ふとしもなけれども 月に幾たび眺めしつらむ 具平親王
この世で生きていれば、必ず物思いすると決まったわけではありませんが、月を見ると心に沁みて、今まで幾たび眺めて物思いにふけったことでしょう。
具平(ともひら)親王は後中書王(のちのちゅうしょおう)とも呼ばれます。
拾遺集(雑) 和漢朗詠集
山光忽(たちま)ち西に落ち、池月漸(ようや)く東に上る。髪を散じて夕涼に乗じ、軒を開きて、閑敞に臥す。
山際の夕照は、にわかに西に消え、月はゆっくりと東から上り、池に映っている。簪で止めた髪を解き、夕方の心地よい風を身に受けて、窓を開いて静かな広い部屋に横たわる。
孟浩然「夏日南亭懐辛大」(夏日、南亭にて辛大を懐ふ)詩の初めの四句です。夕刻、帰宅後の男性の寛いだ様子が目に浮かぶようです。詩の後半は旧友辛氏(大は長男の意味)を思い出す、という内容。
夏と秋と行き交ふ空の通ひ路は 片へ涼しき風や吹くらむ
夏と秋がすれ違う、空の通い路では、片方では秋の涼しい風が吹いているのだろう。
古今集 夏 陰暦6月の末日に詠んだ歌、と記されています。現在の暦ですと8月8日の立秋頃でしょうか。まだ暑さのさかりです。凡河内躬恒作。
扇面に合う歌で、来年の扇子のために、今夏随分手習いしました。
わびぬれば いまはた同じ難波なる みをつくしても逢はんとぞ思ふ
これほどに、恋に思い悩んでしまったので、あなたのことが世間に知られても、今はもう同じこと。あの難波の澪標ではないが、身を尽くしてもあなたにお逢いしたいと思います。
後撰集
元良親王
立ち別れ 因幡の山の峰に生ふる まつとし聞かば 今帰りこむ
お別れして因幡の国に赴任しますが、因幡の稲羽山の峰に生える松のように、あなたが待つと聞きましたなら、私はすぐに帰りましょう。
古今集
在原行平
浅茅生の 小野の篠原しのぶれど あまりてなどか 人の恋しき
茅萱の生えている小野の篠原、その篠ではないが、これまで忍んできた私も、今はもう忍びきれません。どうしてこんなにもあなたが恋しいのでしょう。
後撰集
参議等
月やあらぬ 春や昔の春ならぬ わが身一つは元の身にして
この月は以前の月ではないのか。この春の景色は昔と同じではないのか。私の身一つだけが元のまま変わらぬ想いを抱いているというのに。
伊勢物語
在原業平